南草津歴史会で矢橋訪問 no4 鞭崎神社
鞭崎神社の最終回です。
39代大神正盈氏が再建された瀬田の建部大社のお話です
21日の大神神主さんからもらったパンプレットから抜き出します。
8、大神正盈は、県社建部神社の昇格に注力し大社にした。 1899年
正盈は明治6年(1873年)県社建部神社の神主となり、爾来、昇格請願に注力し、明治32年(1899年)大社にすることに成功した。加えて、滋賀県神道分局長、皇典講究分局長、神官取締所長等の職に就き神道をを広めるのに貢献した。
大神正盈(おおがまさみつ)は天保5年(1834)~明治37年(1904)
近江国栗太郡老上村矢橋に生まれ。江戸から明治に変わりゆく日本の大動乱期に生きた人物である。京都の儒者中沼了三(孝明天皇の侍候、明治に入り明治天皇の侍候)が開塾した中沼塾で国学や漢籍を学んだ。勤王派なり御所や公家宅に出入りし、王政復古のために活躍した。
私が調べたら県社建部神社は大社にするのに時間がかかったみたいです、初めは県社から中社になって、時間がかかったみたいです
ウキペデイアの大社をみてください
大社というのは 出雲大社だけだったんすね。 神宮は 伊勢だけだったんです。
碑は 官幣大社の字がなんと薄いですね。 昔は建部神社でしたが、今は建部大社です。
大神正盈(おおがまさみつ)さんはすごい方だったんですね。家の矢橋の町内の人もほとんど関心なかったのでは。
これから町内に向かって宣伝しないとだめですね。
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