堅田湖族
5月16日堅田の名所をめぐってきました。玉川公民館でのウオークです。
堅田といえば、そう浮御堂ですわね、それとびわこ大橋。近江八景で有名な堅田の落雁は浮御堂も見えています。
堅田は中世の頃から琵琶湖の西側で水運の拠点でした。でも湖西線が出来てから新しい住宅がたくさん出来ています。
私は2回ほど浮御堂や出島の灯台に入っています。でも以外にいっぱい知らんことがありました。
堅田駅から本堅田から今堅田をめぐる旅でした。堅田駅から南北に走る道路がありました。この道は北国海道だそうです、でもかなり広くなっています。志賀の家淡海の記念碑がありました、昔大阪で淡海節を演じられた方ですね。敷石に藤山完美の印がありました。
本堅田町に入りました、でも人もいません、市民センターがありました、ここは昔の堅田町役場だったんですね。すぐ近くに日本キリスト教団の堅田教会です。ヴオーリズの教会ですね。大昔、ここの牧師は西村寛一さんが代議士までされたかたです。
こんなポスターがありました。京都の下鴨神社の葵祭りの魚の奉納です。中世のころは下鴨神社の支配下だったんです。
かなりお地蔵さんがあります。
堅田港です。今は船も来ていません。堀がありました、ここらの景色をみていると大昔に水運があったんだと思われますね。
古い家を改造しておられています。江戸時代は位が上だったんでしょうね。
江戸時代は堅田藩ができたんです、その時の陣屋あとです。堅田には内湖があったんですね。
次回は浮御堂と室町時代に創建されたお寺を紹介します。
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