鞭崎神社と徳川家康との関係

そば打ちおじさん

2014年04月04日 23:58

 徳川家康は矢橋道をよく通ったみたいです。瀬田川を渡らずに、船で矢橋と大津の石場や膳所まで。
有名なのは法印柿というのがあるんです。家康は柿が好きだということでしたので、石山寺のお坊さんが柿をもってきて、矢橋の八幡宮でたべたのかな。柿の種がそだち、今も法印柿はのこっています。

 でも家康さんは、鞭崎八幡宮の中尊をもっていかれたんです。
菅原道真公の殿社(いまはありません、本社に合併しました)のあった中尊でした。

 ※ 神社名が矢橋八幡宮から鞭崎八幡宮(1190年に源頼朝が名前をつけました)に変わるすこーし変わるまえです。
木曽義仲が近江に攻め入った時、住民は恐れおののき疫病が蔓延、それを危惧した、佐々木判官が当神社に籠り祈願した。八幡神のお告げに従い仏師快慶をよぶ。快慶が参籠7日にして阿弥陀如来が顕われ、そのお姿を彫刻し、本社の中尊としてお祭りしたところ疫病が収まったという。
  その阿弥陀如来を自分の妾の菩提を弔うために京都の上徳寺に持って行ったのは徳川家康である。と上徳寺の社史に記録されているとか。※
 ※ 印は 近所の T さんが 老上老人クラブに書かれた一部です。

家康も妾のこととはいえ、大事な仏像をとっていったんです。でも時の将軍では文句はいえなかったでしょうね。あとで、膳所藩主によくしとけといって、田んぼをもらったですね。

上徳寺は京都通百科事典を見てみますと
上徳寺の寺宝として、鞭崎八幡宮から招来された阿弥陀如来像があります、とかいておらてれいます。

もうひとつ 古寺巡礼( 古寺巡礼 )を クリックしたら開きます。この中で、阿弥陀如来像の写真があります。
上徳寺じょうとくじ世継地蔵尊さんと家康の側室 阿茶局( ちゃあのつぼね )ゆかりの寺と書かれています。

阿弥陀如来像はすごい仏像ですね。


鞭崎神社の表門です。 膳所城の南大手門でした。重要文化財です。





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