大庄屋諏訪家屋敷

そば打ちおじさん

2014年03月06日 23:58

大庄屋諏訪家屋敷


諏訪家は1340年足利尊氏が戦功の賞として信州諏訪出身の幕府奉行人の諏訪円忠に赤野井、十二里、三宅等の地頭職として赴任させたことに始まります。

大分前のお話ですが吉祥さんが訪問なさっています。詳しくなさっています、私もいきたかたんですが、訪問は許可がいるので、いってませんでした。

merryさんが2013年に訪問なさってます
そのときは中にあがられたそうです。

本当にいきたかった諏訪屋敷です。

でも大庄屋とかいてあるんですが、江戸時代はどこの藩だったんでしょうね。彦根藩ではないし、膳所藩は栗太郡と大津だけですわね。淀藩からはじまったんですが、江戸時代は淀藩ってあったんでしょうかね。守山はいろんな藩が
村ごとにきていたみたいです。

赤野井ていうところは浜街道から東側ににあるんですね。でも農面道路の近くにあり 「えり市」 の赤野井です。赤野井ていうところは広いところなんですね。

私が住んでいる矢橋町も同じ広さですわ。老上中学が矢橋町6番地  人工島が2104番地 です。 田んぼ含めてすごいです。 赤野井もいっしょですね番地が沢山あるんです。

でも赤野井は昔からの旧家しかありません、家の数は350個です。

矢橋町は家の数は1000件はこえています。新しいところにたったところは自治会が別です。
旧の矢橋町は430件です、でも最近新しい家が建ちかけています。

諏訪屋敷です

川を渡って歩きます


赤野井っていうのは閼伽井から名前がかわったようです。
閼伽井というのは大津の有名なお菓子やさんのおいしいお菓子があります。



守山市の文化財の登録になっています。

表門です。でも広いお屋敷ですね


守山の教育委員会の説明です。







茶室です。江戸時代に三井寺円満院からうつされたそうです。



立派なお庭ですわ。


隣の東別院です。蓮如上人が近くの金森に3年ほどおられて、子孫がここ赤野井に東、と西の本願寺をたてたそうです。




諏訪屋敷がのこったのも、東、と西の別院があったからではないかなとおもっているんです。


守山の教育委員会がこんなパンフレットくれました。草津の町はほとんどまわったので、守山をまわらんとあきませんね。

守山でのハイキングがないとおもったのは大間違いでした、JRの記事にのせてないだけで、守山の総合開発センター(駅の横にある)でずーとやっているようです。これからは知らない守山にでかけますわ。



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