江若鉄道の思い出
4月12日まであった大津歴史博物館の
「江若鉄道の思い出」講演に2回参加しました。でも中の展示を見たのは1回でした。でもいろんなジオラマとが、写真を見て本当に感激しました、なつかしい江若鉄道。
私がうまれたのは、大門道 三井寺下駅は小学校のころよーく遊んでいました。駅前で野球をしたり、車庫に入っておこられたり、駅では信号の確認やタブレットなんかを見てました。でも売店もあったけど、いつの間にかなくなっていました。駅の前には昔の旅籠もありました。
三井寺の駅も長いこといってなく、15年くらい前にいったら大きくかわっていました。キリン堂ができていました。道も大きくかわって西大津へいく道ができていました。
浜大津には遊歩道ができていています。北保町の踏み切りを渡ると疎水です。中学校に行く時は毎日ここを通過する列車をみていまいた。
高校のときは今津から来る通学列車を見ながら京阪に三井寺にのりました。でもよーく遅れて、浜大津まで走っていきました。すると三条から石山に向かう電車にまに会いました。
江若から膳所のほうへ通学している人もかなりいました。かわいい女の子もいました。和邇からきていたみたいです。
江若の列車が着く時間は京阪も込んでました。
下阪本に親戚があって、江若の叡山駅が近かったんですが、墓が穴太にあっていつも京阪の別所(いまの市役所前とは違って、大商の前にありました)からのりました。 叡山駅から江若で帰ったのは1回だけかな。江若は日本一高い電車賃だからといわれていたはずです。
昭和44年の10月31日に江若がなくなると聞いて初めて今津から浜大津までのりました。でも国鉄が出来るから便利になるとみんな思ったはずです。 昭和49年に湖西線が開業しました。完全に新幹線並みの線路です。踏み切りはないし、駅の格好は同じです。でも便利になりまいした。開通まではバスがはしってましたが、161線はすごくこんでいました。
でも昔の線路あととか、残っているのはすくないですが、近江今津の駅は残っていますが、なんとか江若の風景を残したいですね。
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