守山宿とそのまちなみ
2月15日に近江歴史回廊の講座が守山でありました。
講師は草津宿街道交流館長の八杉 淳 さんです。
昨年も草津宿でお話を聞きました。
なんで草津の私が!といわれたそうですが、守山にはいい講師がいなかたんでは?
そうなんです、守山の中山道を大きくアピールしていますが、資料が無いそうです。草津は本陣があるから資料ものこっているんですね。
江戸から三条まで69宿あるんです、でも日本橋と三条は宿にいれないんです。板橋が1番で、守山は67番目でも広重の絵は日本橋を1番にしているので、少しややこしんです。
愛知川は65なのに、66番としているそうで。
守山の宿は割りと大きかたんです。京都を朝に出ると、守山にとまったそうです。1日で40kmから50kmも江戸の人は歩いたそうです。
守山の宿は今宿と吉身といっしょでやっていたそうです。
皇女和宮の通行と朝鮮通信史のときは大変だったそうです。
江戸時代は東海道と中山道で滋賀をつうかしないと往来できませんでした。いまの時代も滋賀をとうらないと、東京には行けないのですね。でもあんまり早くいくのも、ゆっくり江戸時代にかえって街道を歩けば!私はかなりあるきました。でも守山から草津まではあるいていません。最後の中山道にしたいから。
中山道に面している東門院です。
788年に延暦寺を開いた最澄が東の鬼門ということで建立されました。
東門院の和尚さんが本堂のなかに招きいただき、お話がありました。(けどストーブの音がうるさくて話はうまく聞こえませんでした)
昭和61年に本堂がやけていまは平成2年にできた本堂です。門は足利時代にできたものです。
中には守山寺という額がありました。だからここは山を守るための寺だから、守山という名前がついたんですね。
江戸時代の高札が2つのこっていました。
鎌倉時代の五重塔があります。重要文化財です。
詳しくは
東門院のHPへ 和尚さんがこれをみたらすぐわかるおしゃってくださいました。
次回はうの家の訪問です。
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