石部宿から草津の宿へ ハイキングPart2です。
昨日の続きです。
和中散本舗からです。この重要文化財の建物は普通あいていません、団体ならあけてもらえそうなんですわ。
この薬は徳川家康が野洲におられたときに腹痛をおこしたんですが、医者がこの薬をのましたらちゃんと直ったそうで、家康が和中散という名前をつけだそうです。
何代目か(わすれました)の当主の大角さんが上手く説明くださいました。
ここは国の指定遺跡で、庭園も指定名勝です。庭園は小堀遠州がつくったそうです。
ふすま絵も素晴らしいものです。ここは草津と石部の中間ですので 小休本陣がおかれていて、多くの殿が休んでいかれたそうです。
薬は大きな機械でつくっていたのです。
昼食は手原の駅前の里中稲荷大明神でした。後ろに手原駅50周年でD51のSLがありました。いままでしりませんでしたわ。
栗東、目川の田楽はあしたにします。
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