ちょいとあるこう東海道へ part2
きのう東海道を草津から大津まで歩いたとかきました。実はこれで終わろうかと思いましたが、詳しく書きます。
本当は
草津在住のひろちゃんがいいレポート出しているのです。ぜったいに勝てるわけはありませんが、私の感じたこと書きます、
前回は南笠まであるいたので南笠から大津まで11.5kmのはずです。南笠まで行くのに狼川の近くで東海道をこえるとこんなトンネルがありました。明治の初めにつくったトンネルです。川の下をもぐっています。
この看板は草津の狼川自治会がつくった看板なんです、瀬田まで何キロあるか親切です。なかなかあと何キロとは草津は書いていませんね。
ここは池たったみたいで並木があります。いい風景ですね。この先は朝一方通行なので、通る方はすくないかも。
ここから大津です。 草津は何キロあったのかなといつもかんんがえます。
ここは月輪です、向かしため池がおおかったので、月の輪とよんだのでは。
ここは新田地域だったのですね。東海道から下は全部田んぼだたはず。今の名神の近くまで新田が開発されたのでしょう。
月輪の立場あとです。 こんなんは全然しりませんでした。
ここから上りがあって 一里塚です。 ここは一里山と呼んでいるのは新しい町だったのでしょうね。この前の道40年まえにはまだ出来てなかった感じです、医科大へいく路です。
昔は瀬田町から大津に合併して急にぬびたんですね、駅もできたし。でも同じ栗太郡なので、本当は草津と合併したっほうがよかったかもしれませんね、あの時草津は反対だったのでしょうね。昔の家の風景は草津と瀬田はそっくりです。
瀬田の小学校からは路がややこしいです。曲がりばっかりです。
3回目の曲がりで進行方向がちゃんとできていません。 唐橋から来る人はまちがって旧国道をいってしまいますね。
ここは建部大社です、近江一の神です、 ここで活躍されたのが、わがやばせの鞭崎神社の神主です。ずーと建部におられたようです。
この近くにたにし飴があります
このあと瀬田の唐橋はとっていません、いろいろ瀬田に縁が深く忘れてしまいました、次回は粟津にします。
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