ちょいとあるこう東海道へ part3

そば打ちおじさん

2010年11月02日 23:54

 昨日につずいて東海道のたびです。

こんな本がありました、でもよく知っているのでとおもいながら入れたら残りの距離がわかりましたね




昼飯は石山駅の居酒屋日本海でたべました。そうなんです、石山駅をこえないと東海道はつながらないといわれています。

 駅をこえたら 会社の名前がかわている会社でした。 関西日本電気から 横文字にNECの半導体が新しい会社にうつったのですね。

 そこを越えると松並木がすこしあります。昔はたくさんあったのでしょうね。




 また膳所の町に入ると路は大きくまがります。 そこでこんな床机がありました。かんたんに出る床机です。


 
 この路上ではかなり向かしの板塀があったのでしょうね。もうほとんどはないですが。
膳所城の前を通りました。ついでに膳所神社にもよりました。

西の庄までいくとお酒やさん 100年つずいているようです。




石坐神社がありました。たくさん重文があるのですね。





このあたりは湖岸道路とそって歩きます、西武のちょいと横をとおれば義仲寺です、小さいてらなのに木曽義仲の墓があります。昔の木曽の英雄も石山でなくなったんですね。そのよこには 芭蕉の墓です。江戸時代に源氏の騒動があったのわかっていて、ここにお墓をつくらせたんです。






石場から道が3つにわかれています、一番上が東海道です。やっぱり大きなまちだったのですね、
京町に露国皇太子の遭難があります。




大津の本陣の話です。向かしははたごがたくさんあったのでしょうね。札の辻まで八丁ってよばれているということでした。
すぐ近くには私の行っている日赤があります。




これで後は京都にいくばかりです。
 


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