「草津の古代を掘る2015」を聞いて来ました

そば打ちおじさん

2015年12月05日 23:58

 草津の公報にものったし、おーたんメールも参加しませんかとか、パンフレットもあったし、どれだけの人が来るか心配していました。市役所の8階の会議室でありました。隣のアミカホールでは、歴史回廊のイベントもあって、駐車場が一杯になるからと早く行きました。




 人員が80名までと公報に書いていましたが、なんと席は一杯、120名も坐っていて、椅子だけの人もかなりいました。どうしてでしょうやはり、お城の達人 中井均先生が登場するからかな。

 来年4月に出来る老上西小学校の田んぼは遺跡が出てきました。一度矢橋町総合会館で草津市教育委員会の報告があって聞きに行きました。今回も出るはずと話を聞きに行きました。
 でも話は 草津の中世集落を探るということでした、お話は草津市教育委員会の樫木さんでした。このかたは毎日遺跡のところにきていまいた。(若い人がわが家の前を通るので)

 

 集落遺跡は 12世紀から14世紀 14世紀から16世紀とあるそうです、
12世紀から14世紀は宮前遺跡、(場所がわかりませんが川原町のあるそうです)新堂前遺跡、(駒井沢町)芦浦遺跡
14世紀から16世紀は大塚遺跡(西矢倉)南東浦遺跡(矢橋町)らしいです。

でもいまは集落が変わっていてあとかたもなく田んぼになっているそうです。
南東浦遺跡は江戸の初めまであったみたいです。でも東海道ができて矢橋道ができたらそちらに移ったんでしょう。
近くに矢橋城もあったんですが、城址の近辺ですから、城と同じころに出来たのかも。

 環濠集落で堀があったんですね、先のほうはもう家が建っているので、わかりません。城跡まで、300mぐらいです。大きな環濠集落だったかも。家を移して、川が近くにあるから川があふれて田んぼになったのかな。

 




 でも聞きにきた南東浦のことはあまり言いませんでした、未開決に終わったんだと思います。学校が出来るから、急いでたので。

つづいて守山の教育委員会の 小島さんと栗東教育委員会の藤岡さんの話を聞きました。

本日の講演は中井先生でした。お話は上手でした、わたしも1回歴史回廊で聞いています。でも中井さんは山城が得意なんですね。


滋賀に1300のお城があるそうです、でも甲賀は300ほどあって、少しの豪族が城をつくったようです。矢橋の矢橋という人が城を造ったと思っています?
近くには野路城、山田城、矢倉城、青地城、追分城、草津城、大路井城、渋川城、上笠城、下笠城、野村城、渋川城
まるで明治の村と同じですね、それが集落の基本のなっているのです。

今日はほかのことも含めていい勉強になりました。

(草津市教育委員会の写真を写しました。)


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