瀬田の唐橋は昔は勢多橋でした

そば打ちおじさん

2013年05月28日 23:04

 今、近江歴史回廊大学に行っています。昨年は歴史の道でしたが、今年は近江は道の国(東海道)に行っています。最初用事が多かったんで参加したのは、草津宿からでした。栗東があって、26日は石山でした。
 
 講師は大津歴史博物館の杉江先生でした。昔の勢多橋は今より南にあったそうでうす。壬申の乱の時に大友皇子と大海人皇子の合戦がありました。内輪もめの戦いでしたが。
勢多の唐橋で天武天皇が勝ちまして、そのあくる日に大友皇子が命を絶ったんです。大友皇子を祭っているお宮さんがあります。御霊神社といって、石山に2つ、瀬田に1つあります。
 写真は北大路もお宮さんです。




室町でも事件があったようです、承久の欄です。このときも勢多の橋が京都に行くにはこの橋になります。

そのあとは俵藤太の伝説ですね。 三上山を7巻半のドクロを退治したんですね。

いつから今の場所に変わったんでしょう。資料をみると1575年になっています。昔からギボシがあったんですね。




唐橋から見た景色です。三洋電機の工場がなくなっていますね。1号線の南側は平和堂とニトリが入ってますね。





龍王宮秀郷社からとった写真です。



おまけに中の島のところにあった市民掲示版に福山聖子さんのポスターが貼られていました。土曜日に終わっているのにね。



私は昨年近江国庁を見学して、建部大社、唐橋、石山寺を見たんですが、今回は講義が聞けて良かったです。


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