東海道、鳥居川(石山)から神領(建部大社)へ
昨日の歴史回廊の続きです。
街道の風景でころっと意識がかわるんですね、旧東海道とか中山道では。
大津の京町も少し昔の街並みになってきました。草津も本陣が市の所有物になってからころっと変わってきました。
水口や土山の町並みはいいですね。でも三重県の関には遠く及びませんね。でも早くになくなってしまったものは仕方ないけれど、これからは古いたてものの保存に市やいろんなところで保存してもらいたいですね。
鳥居川の明治天皇の休憩地です。明治天皇が京都から江戸に向かった時のものです。普通は建物がなくなって石碑だけですが、ここ鳥居川には残っているんです。木曾義仲の戦いで死んでいった今井兼平の子孫が立てたものらしいです。
でも石山の人通りは少ないですね。昔はバスが動かんかったのにね。お店も減って来ています。瀬田の橋本も一緒ですね。
鳥居川から唐橋に向かって進むと古い家があります。
この家の前の家は竜宮さんが表を飾ってました。縁があって家のなかに入りましたけど、家の中にも龍宮さんがありました。
ここは油屋さんだったそうです。横の新しい道がないときは倉庫があったはずです。
唐橋からみた住友活気園です。 伊庭貞剛さん(2代目の住友の代表でした)の別荘でした。新幹線が真横を通り、土地も取られたようなんです。今年の一般公開に行こうと考えていたんですが、忘れていてだめでしたわ。
この建物見たときは完全なお化け屋敷と思ってましたわ、伊庭さんもよくわからずに。
古い1号線と建部大社の別れにところに、磯田医院というのがありました。古い建物で、診察はしてませんでした。ヴォーリーズの設計だったそうです。福山さんの絵を膳所でみたんです。
今は向かいの歯医者さんがいい建物で移っています。私が大昔かかった歯医者なので、写真は取っていません。
昔の建物残すのは本当にむつかしいですね。
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