蒲生氏郷の足跡を訪ねて

そば打ちおじさん

2013年07月14日 23:58

 13日に日野に行きました、ブロガー歴史情報発信で6月30日にあったのですが、それの本番です。
蒲生氏郷って皆さんご存知ですが、日野で生まれて、戦国時代に大きな大名になった人です。

私が蒲生氏郷を知ったのは、国道307号線のひばり野公園に建てられた銅造からです。蒲生郡の日野でなんで蒲生?蒲生氏は戦国時代の武将でした。なんで明治政府のときに蒲生てついたんでしょうね。

 29歳で伊勢の松坂にいきました。昨年初めて松坂の城に行って日野から松坂に行かれたんだと分かりました。最後は会津若松です、いまの大河ドラマの会津城は蒲生氏郷が作ったんです。会津黒川から若松に変えたそうです。

 蒲生氏郷が40歳で死にまいした、関が原の戦いまであと5年だったそうです。氏郷がもっと長生きしていたら、歴史は変わったかもしれません。でも死んだあと領地がえを繰り返し、氏郷の孫忠知の死によって断絶したのです。

 


 蒲生氏の 定秀、賢秀、氏郷の3代にわたって使われた中野城です。今の日野の市街は城下町としてうまくつくっています。本能寺の変の時、織田信長の妻子や女房衆を安土から中野城へ避難させました。大河ドラマの「江」のときに、妻子は名古屋い移したというたそうです。間違いでした。

 


 写っている方は案内の方です・



 でも中野城はほとんど遺跡らしきものがありません。茶畑になっているんです。
 中野城は慶長年間には廃城になってしまい。江戸時代は仁正寺(西大路)藩主市橋長政が北東部分に陣屋を構えたそうです。仁正寺(西大路)は明治維新まで続いたそうです。






次回はお寺巡りです。



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