湖畔の郷 (矢橋の明治の大洪水の標識)
草津市矢橋の浜街道と矢橋街道の交差点です。
明治29年に起こった洪水です。真ん中の線があるところまで水が来たんです、水位が3.9mもありました。私の背丈より少し高いぐらいですね。その頃は田んぼが多くてみんなだめになったようです。家のものもみんなだめになって。
これで洗堰ができたんですね。琵琶湖を大阪のダム湖にしょうと国は色んな総合開発をしたんです。でも道路ができて、葦がなくなったりしました。
でも洗堰作るのは滋賀県の方がいろいろ苦労されたんだと思います。今台風でいろんなことが起こっています。住みよい暮らしで過ごすのはこれからも大変だと思います。
大昔は浜街道一本で大変な混みようでした、でもこれだけ車が増えたんで、湖周道路も必要です。浜街道も明治時代にできたんです。狭い芦浦街道しか、北や南にいくみちはなかったんで。
この場所は前に家が立ってました。平成6年に浜街道を少し広げたんです。で空き地ができたんで、湖畔の郷 という名前で碑を立てました。
滋賀県が作っています。
先日の台風18号でかなり水がついた矢橋も、この碑をみてくれたのかな、今の小学生。
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