2013年06月20日

信長の隠れ岩

 信長は天正4年(1570年)に安土城を建てた人です。でもあの戦国時代にあの安土城をつくって、日本の英雄になりました。でも安土城を作るまではいろんなことがありました。
 
 信長は岐阜を根城にして近江の進出を図るために、妹のお市を浅井長政と結婚させました。これで近江の中部の六角氏に戦争をおこしました。でも六角氏は早々に観音寺城をほって、甲賀へ逃げたんです。足利義詮と同盟を結び、初めて1568年に京都に入場しています。
 
 1570年に伊勢国を平定して、次が越前の一の谷の朝倉義景の討伐に出発したんです。でも敦賀の城のところで、浅井が寝返ったと聞いて、そんなはずは?とびっくりしたんです。浅井と朝倉はお市が来る前から仲が良かったですね。
 
 浅井が応援したことで、両方から責められるから、京都まで退却と決めたようです。信長は少しの人間(10名くらい)で朽木越えをしたそうです。
敦賀で最後まで戦ったのは、秀吉でした。山内一豊は秀吉の部下でした、うまくにげきったんです。

 信長が来ると知った、朽木の領主、朽木元綱は甲冑姿で出迎えようとしたいたんです。信長も先発隊がいてたんかどうかわかりませんが、朽木三つ石の隠れ岩に隠れたそうです。

 でも今になって考えること、山の中にある隠れ岩、どうして知ってたんでしょう。やはり朽木を知っている人がいたんでしょうね。
朽木元綱は足利氏と関係が深かったんです、応仁の乱のとき、都を留守にしてここ朽木に2~3年いたようです。
同行の松長久秀と森可成に元綱の真意を確かめにいったそうです。元綱に敵意がないことが、確認できるまで、隠れ岩にいたらしいです。

朽木元綱は信長を下市場の円満堂でもてなしたあと、朽木城に宿泊して、京都まで警護役も努めたらしいです。

隠れ岩から出られなかったら秀吉の到着をまっていたかもね。秀吉は違う道をとって京都に帰ったそうです。

信長はすぐに姉川の合戦を始めました。 そのあとはTV大河ドラマで存知ですよね。

信長の隠れ岩


信長の隠れ岩

下の北川のある三つ石です。

信長の隠れ岩

ここが 安曇川と北川が合流しているところにある 朽木陣屋 です。

信長の隠れ岩

 ここは朽木氏は江戸時代に準大名になっていて、参勤交代まであったようです。

信長が朽木の人にあげたモノです。

信長の隠れ岩


でも信長が本能寺の変で死んだですが、遺体がでなかったそうです、私はうまく逃げたんだと思うんですが。





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この記事へのコメント
朽木ルートで京都まで逃げたのは聞きましが、隠れ岩の件は知りませんでした。継体天皇と、朽木で信長にまつわる講座と中味の濃い一日だったようですね。
Posted by 吉祥吉祥 at 2013年06月21日 06:01
そば打ちおじさん、今日は。織田信長が京都に逃げる時に、朽木で「隠れ岩」に隠れていたことは知りませんでした。
高島市にも色々な歴史があることが分かりました。
Posted by kobatoan at 2013年06月21日 09:04
>吉祥さんへ

 でも本当に隠れ岩にかくれたんか、今になって疑問です。
あんな道から離れているところ、どうやって見つけたんだろう。

 本当にいい1日でした。
Posted by そば打ちおじさんそば打ちおじさん at 2013年06月21日 23:30
>kobatoanさんへ

 いろいろと話がかわるんで、隠れ岩にはいいたかどうかもわからないと思います。

 高島も歴史が深いですわ。
Posted by そば打ちおじさんそば打ちおじさん at 2013年06月21日 23:32
yumeです。
滋賀咲くブログに、IDを持っているのでそこからログインしたらうまく、ログアウトできなくなって、「ゆめ」と表示されるようになってしまいました。


歴史探訪のブログ、書くのが大変だとおっしゃっていましたが、とてもわかりやすくて親しみ深く読ませてもらいました。
いわゆる、ネットサーフィンによる コピペでなく、そば打ちおじさんの目での文章なのがいいです。

そば打ちおじさんのところで 復習させて頂き、私も少しは身につきました。

歴史は、なかなかどこまでが本当か確証が持てませんが、そこがまた面白いのだと思います。
Posted by ゆめゆめ at 2013年06月22日 21:27
>yumeさんへ

 yumeさんのブログにホント大変ですと書きました。本当にみんなが書いているんで、見ただけのコメントではあかんと、図書館で本を借りてきました、「近江戦国の道」です。でもあんまり参考にはなりませんでしたわ。

ほんとに面白いですね。あの時に朽木氏が信長を討っていたらどうなっていたでしょうね。

 継体天皇も古事記(天武天皇がつくたんです)そのときにうまく作られたんだとおもいますわ。でも実在の人物ですね。
Posted by そば打ちおじさんそば打ちおじさん at 2013年06月22日 22:47
 
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