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Posted by 滋賀咲くブログ at

2014年03月20日

中山道 武佐

 近江歴史回廊大学で武佐の探索です。
 武佐はずいぶん前の合併で近江八幡市です。でも八幡は商人屋敷とか、ウオーリーズの建築とか城跡とかあって武佐の宣伝はあんまりやっていません。
 
 それと古い旅館があったんですが2年前になくなって、昔の雰囲気もなくなりつつあります。彦根もお城があるので、中山道の高宮、鳥居本もあんまり宣伝はしてません。

 でも近江八幡の文化観光課市史編纂室の島野先生に来ていただき、「中山道武佐宿とまちなみ」で講演と武佐にいきました。



近江鉄道の武佐駅です。 伊庭屋敷のあとと書いています。


伊庭貞剛さんが生まれたところです。蒲生郡西宿村(今は近江八幡市西宿)
住友の2代目総領事でした。四国の別子銅山で活躍されて、早く引退されて、石山の活機園で生活されたそうです。



いまは公園になっていて、この楠の木だけがのこっています。


伊勢に向かう道標です


安土の淨厳院に向かう道標です。


本陣のあとです。


下川さんといって郵便局になっています。


古い建物です。


昔の警察の建物です。いまは料亭がつかっているそうです。





明治天皇が北陸に行くときに休んだそうです、お寺です。



近くの神社に変わったしめ飾りがありました。



ここは脇本陣です。今は武佐の会館です。

  


Posted by そば打ちおじさん at 23:56Comments(4)中山道

2014年02月19日

うの家 守山中山道

守山で有名な道標です。

右に行けば中山道、左は中主の錦織寺です、錦織寺は真宗木部派の本山です。前にいったことがあるんですが、
守山からどんな道を行くのかな。





西藤小児科の前に建っている道標です。栗東市にある新善光寺への参詣道です。昔の道があったんですね。




本陣のあとです。本陣自体はなくなっていますが、近くに交流館があります。




うの家です。元は宇野本家 といわれた造り酒屋でした。 宇野さんが引越しをされて、守山市が買い取り。2012年の1月にオープンしました。



きれいに明治初期の建物が残されています。ここにはレストラン 咲蔵 と 和カフエの 忍ぶ庵があります。4時前だったんですが、忍ぶ庵はいっぱいでした。




宇野宗佑さんです。総理大臣になられたんですが、短く終わりました。


総理大臣の認証式の写真ですね。



でも、宇野宗佑さんは地元の守山では野洲川の改修とか、守山の道路がよかったとか、功績がありますね。

うの家のホームぺージです。宇野本家の生い立ちです。

でも守山宿でゆっくりするとこなかったから、いい建物ですね。
  


Posted by そば打ちおじさん at 22:46Comments(4)中山道

2014年02月17日

守山宿とそのまちなみ

2月15日に近江歴史回廊の講座が守山でありました。


講師は草津宿街道交流館長の八杉 淳 さんです。
昨年も草津宿でお話を聞きました。

なんで草津の私が!といわれたそうですが、守山にはいい講師がいなかたんでは?

そうなんです、守山の中山道を大きくアピールしていますが、資料が無いそうです。草津は本陣があるから資料ものこっているんですね。

 江戸から三条まで69宿あるんです、でも日本橋と三条は宿にいれないんです。板橋が1番で、守山は67番目でも広重の絵は日本橋を1番にしているので、少しややこしんです。
 愛知川は65なのに、66番としているそうで。

守山の宿は割りと大きかたんです。京都を朝に出ると、守山にとまったそうです。1日で40kmから50kmも江戸の人は歩いたそうです。
守山の宿は今宿と吉身といっしょでやっていたそうです。

皇女和宮の通行と朝鮮通信史のときは大変だったそうです。

江戸時代は東海道と中山道で滋賀をつうかしないと往来できませんでした。いまの時代も滋賀をとうらないと、東京には行けないのですね。でもあんまり早くいくのも、ゆっくり江戸時代にかえって街道を歩けば!私はかなりあるきました。でも守山から草津まではあるいていません。最後の中山道にしたいから。


中山道に面している東門院です。
788年に延暦寺を開いた最澄が東の鬼門ということで建立されました。
東門院の和尚さんが本堂のなかに招きいただき、お話がありました。(けどストーブの音がうるさくて話はうまく聞こえませんでした)

昭和61年に本堂がやけていまは平成2年にできた本堂です。門は足利時代にできたものです。
中には守山寺という額がありました。だからここは山を守るための寺だから、守山という名前がついたんですね。





江戸時代の高札が2つのこっていました。




鎌倉時代の五重塔があります。重要文化財です。




詳しくは東門院のHPへ 和尚さんがこれをみたらすぐわかるおしゃってくださいました。


次回はうの家の訪問です。  


Posted by そば打ちおじさん at 23:11Comments(8)中山道

2013年10月25日

思い出のある写真

 急に私のパソコンがエラーばっかり出るようになりました。
パソコンをリカバリーする予定ですが、もし失敗したら、画像もだめになると、USBを買ってきて取り込んでいます。
 
 偶然に福山聖子さんのチラシがでてきました。2010年の5月です、草津の水環境科学館でのもよおしでした。何回もそこでやっておられたんですが、私は始めてなんです。(草津の矢橋人工島の水環境科学館は2012年の3月で終わっています、建物は残っています)

 

 中仙道を始めてあるいたときに高宮の平和堂のパンやさんから、カレンダーいただいたのが、福山さんの絵でした。朝日新聞をとっていたのですが、そんなに気にしてませんでした。でも色つきのきれいな絵をみると、びっくりフアンになりました。

 

 絵だけでもきれいですが、文章もきれいで、最近ずっと切りぬいています。

 昔のパソコンの写真ものこしとかなあきませんね。いろいろの思い出がでてきました。


 脳梗塞で入院して、京都新聞で見つけた記事をみて 4/1にもらいにいきました。退院は23日やったかな、
これが中仙道の記念品です。 もうすこし歩いたら全線完走です。

  


Posted by そば打ちおじさん at 23:57Comments(6)中山道

2011年11月19日

草津の図書館の本

 気がついたら、図書館の本の期限が昨日で過ぎてました。白州正子の本をかりていたのです。あわててかえしにいきました、でも白州正子の本は3週間も借りたのにほとんど読んでいません。鉄道ファンもほとんどよんでいません、ああどうなっているのでしょう。

 週末の散歩道さんがいい本をかりてこられたそうで、これは守山で借りたとおしゃっていました。わたしも草津図書館の2階へ、でも草津図書館は2階は1週間です、借りて読めるかなと想いながら借りてきました。

 今回わたしが行っている歴史回廊大学の「近江戦国の道」です、確かこの本は1階にもあるはずです。近江歴史回廊推進協議会がつくっているので、本家本元、この本で勉強ですわ。

 もう一つは「中山道風の旅」この本は1階にはありません、もう何10回もかよっているのだから。この本はテレビ埼玉と群馬テレビがテレビ放映のあと作ったものです。2004年の発行ですが、いいところは変わってないとおもいます。
軽井沢~馬籠の本です。  塩尻から馬籠もとっくにすぎて守山まできています。行ってないのが軽井沢~塩尻です、和田峠の大きい峠があるのです。
 何回もいこうとしたのですが、病気で3回失敗しています。来年の春から始めます。中山道6年目でいける予定なんですよ。
最初歩いたのは 高宮~愛知川でした。高宮も知らずに滋賀でそだってきました。いいところですね滋賀の中山道は。
中山道あるきとうしたら、草津街道交流館で表彰していただけます、今の八杉所長がいたらいいけどね。

 さあがんばって歩きます、戦国の道と中山道 もうひとつ 西近江道を!

  


Posted by そば打ちおじさん at 22:32Comments(8)中山道