
2016年12月31日
28年の南草津歴史会の思い出
南草津歴史会で、いった所が抜けてました、最後ですが写真だけ投稿します。
4月には 土山へ
このときは立命館の先生である、Aさんが担当でした






いつもは土山宿あとはお母さんが亡くなられて、いつももう見られまくなっています。
立命の先生が努力してくださって、中で説明を聞かせてもらいました。
7月には信楽へ
お寺にくわしい F さんが紹介でした・
信楽に宮跡(いまは甲賀寺といわれています)




また信楽高原鉄道で玉桂寺

前の釣りはしです。

後は陶芸博物館でゆっくりして帰りました。
10月は草津山田のコースでした。私は11時ごろしかいけなくて、自転車で追いかけました。
案内は、 前に参加されていた、吉祥さんでした





1年間ありがとうございました。
本日そばを16人分打ちました。殻付の蕎麦粉で、一つはうまく出来たんですか、後の一つは蕎麦粉9.5強力粉が0,5になっていまい、大失敗でも8人分自宅で大人6人子ども2人食べましたが美味しいといってくれました。
また来年もよろしくお願いします。
4月には 土山へ
このときは立命館の先生である、Aさんが担当でした
いつもは土山宿あとはお母さんが亡くなられて、いつももう見られまくなっています。
立命の先生が努力してくださって、中で説明を聞かせてもらいました。
7月には信楽へ
お寺にくわしい F さんが紹介でした・
信楽に宮跡(いまは甲賀寺といわれています)
また信楽高原鉄道で玉桂寺
前の釣りはしです。
後は陶芸博物館でゆっくりして帰りました。
10月は草津山田のコースでした。私は11時ごろしかいけなくて、自転車で追いかけました。
案内は、 前に参加されていた、吉祥さんでした
1年間ありがとうございました。
本日そばを16人分打ちました。殻付の蕎麦粉で、一つはうまく出来たんですか、後の一つは蕎麦粉9.5強力粉が0,5になっていまい、大失敗でも8人分自宅で大人6人子ども2人食べましたが美味しいといってくれました。
また来年もよろしくお願いします。
2016年12月18日
浜大津の朝市
今年最後の朝市です、1年間で行かなかったのは2回だけ(何かいそがしかって)
いつも買っているのは卵と、お酒。いかれなかった卵は中辻さん(栗東市)が草津に来る時に家までもってきてくれました。お酒はわたしが、同じようなお酒を小川酒店まで(通院のときに)買いにいきます。同じものはないのですが、同じ地酒やさんのを。
毎年年末は海津の吉田酒店のお酒を朝に瓶にいれて持ってきてもらうんです。でもことしはお米の都合で間に会わなかったということで、北島酒造です。
遠くにいきたいのTVのロケハンがきたみたいです。 料理人の土井善晴さんが来られたそうです。私は少し遅かったので会えてません。
香り高い「みずかがみ」、26BYの「北島」山田錦 別誂 直汲み。にごり」のお酒も
右手はみずかがみで作ったおにぎり、小川酒店さんが作られました。水加減がよくうまくできていました。

本日お酒を買うと御礼を言ってくれます。

本日買ったお酒は「みずかがみ」 直ぐみで生のお酒です。

家に帰って飲みました。すっきりして、おいしいです。これで 1升 2600円 安いとおもいます。
やはり滋賀の地酒は美味しいです。
いつも買っているのは卵と、お酒。いかれなかった卵は中辻さん(栗東市)が草津に来る時に家までもってきてくれました。お酒はわたしが、同じようなお酒を小川酒店まで(通院のときに)買いにいきます。同じものはないのですが、同じ地酒やさんのを。
毎年年末は海津の吉田酒店のお酒を朝に瓶にいれて持ってきてもらうんです。でもことしはお米の都合で間に会わなかったということで、北島酒造です。
遠くにいきたいのTVのロケハンがきたみたいです。 料理人の土井善晴さんが来られたそうです。私は少し遅かったので会えてません。
香り高い「みずかがみ」、26BYの「北島」山田錦 別誂 直汲み。にごり」のお酒も
右手はみずかがみで作ったおにぎり、小川酒店さんが作られました。水加減がよくうまくできていました。
本日お酒を買うと御礼を言ってくれます。
本日買ったお酒は「みずかがみ」 直ぐみで生のお酒です。
家に帰って飲みました。すっきりして、おいしいです。これで 1升 2600円 安いとおもいます。
やはり滋賀の地酒は美味しいです。
2016年12月16日
歴史の里「菅浦」
今年の6月は南草津歴史会は湖北の菅浦にいってきました。
昔は西浅井町、いまは長浜市です。竹生島まですぐの所にあります。昭和46年に奥琵琶湖パークウエイが開通するまでは、道もなく湖上の交通だけでした。(大浦には小さな道はあったようです)

菅浦には、東と西の入口に、それぞれ茅葺きの棟門があります。
この門は4脚で、中世から明治維新まで集落の四方の入り口にあったことから四足門と呼ばれています。
集落の入り口にあることから、村の出入りの検札が行われていたと推測されます




ゆたかな緑に包まれた須賀神社は、この地に隠れ住んでおられたと伝えられる淳仁天皇を祀った物であり、明治42年(1909)に小林神社・赤崎神社を合祠し須賀神社と改称されました。
淳仁天皇は天皇の座を追われて、淡路に行ったといわれてますが、この淡海の菅浦にいたといわれています。
その神社が須賀神社です。
拝殿の裏には、淳仁天皇の舟型御陵が今でも残されております。




須賀神社は古来より神聖な場所とされ、本殿は土足禁止となっています。初詣でお参りするような神社の雰囲気とは全く違うので、菅浦の人のわが神との意識でしょうね。

本殿の手前には下足箱がありますので、神域となる本殿へ行くにはスリッパに履き替えるか、裸足で参拝しましょう。

本殿です。

菅浦の港です。


東の四足門です。ここもきれいに修理してました。

お昼を食べたつづらお荘を見ています。こんな所に国民宿舎があったんですね。
つづらお荘のホームページです、参考になります。

遠藤周作、白州正子がこの隠れ里を愛したそうです。
竹生島が本当に近いです。

本当に隠れ里 不便でしたが、村の掟をまもって1000年以上も生きてきたんですね、町をあるいてそう思いました。
なかなか行けないところですが、行ってよかったです。
昔は西浅井町、いまは長浜市です。竹生島まですぐの所にあります。昭和46年に奥琵琶湖パークウエイが開通するまでは、道もなく湖上の交通だけでした。(大浦には小さな道はあったようです)
菅浦には、東と西の入口に、それぞれ茅葺きの棟門があります。
この門は4脚で、中世から明治維新まで集落の四方の入り口にあったことから四足門と呼ばれています。
集落の入り口にあることから、村の出入りの検札が行われていたと推測されます
ゆたかな緑に包まれた須賀神社は、この地に隠れ住んでおられたと伝えられる淳仁天皇を祀った物であり、明治42年(1909)に小林神社・赤崎神社を合祠し須賀神社と改称されました。
淳仁天皇は天皇の座を追われて、淡路に行ったといわれてますが、この淡海の菅浦にいたといわれています。
その神社が須賀神社です。
拝殿の裏には、淳仁天皇の舟型御陵が今でも残されております。
須賀神社は古来より神聖な場所とされ、本殿は土足禁止となっています。初詣でお参りするような神社の雰囲気とは全く違うので、菅浦の人のわが神との意識でしょうね。
本殿の手前には下足箱がありますので、神域となる本殿へ行くにはスリッパに履き替えるか、裸足で参拝しましょう。
本殿です。
菅浦の港です。
東の四足門です。ここもきれいに修理してました。
お昼を食べたつづらお荘を見ています。こんな所に国民宿舎があったんですね。
つづらお荘のホームページです、参考になります。
遠藤周作、白州正子がこの隠れ里を愛したそうです。
竹生島が本当に近いです。
本当に隠れ里 不便でしたが、村の掟をまもって1000年以上も生きてきたんですね、町をあるいてそう思いました。
なかなか行けないところですが、行ってよかったです。