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2017年12月16日

芦浦観音寺の秋の一般公開

11月23日に芦浦観音寺の秋の一般公開がありました。
年に2回の一般公開です、草津観光ボランテイアの後援で行われています。

浜街道に大きな看板が

芦浦観音寺の秋の一般公開
お寺といいながら、お城の構えです。中世のお城です。

芦浦観音寺の秋の一般公開
中に有る門ですね、この門は昔は開けていたでしょうが、今では横に道があるから開いていません。
芦浦観音寺の秋の一般公開

石碑です。
芦浦観音寺の秋の一般公開

重要文化財の書院です。

芦浦観音寺の秋の一般公開

もみじが色ついています
芦浦観音寺の秋の一般公開
こちらも 重要文化財の 阿弥陀堂
芦浦観音寺の秋の一般公開
本堂です、平成24年に建てられたんです。でも中の仏像は琵琶湖文化館にいっています、
でも今回は秘宝の十一面観世音菩薩がありました。それと屏風と、でも写真は撮れませんでした。
芦浦観音寺は信長の時代以降に大きくなたんです。秀吉に琵琶湖の湖上の船の管理をまかされで、大津に代官所を建てたんです。

芦浦観音寺の秋の一般公開
いいもの見つけました、大津の観音寺の代官所です。よくみると、なんと江若鉄道の本社と三井寺下駅ではないですが、わたしは湖岸にあると思っていました。明治になってから代官所はなくなり、荒地になっていたのかも。江若鉄道がいいところがあると、開発したのでしょうね。隣は軍隊の基地でしたから。
大津の観音寺は昔は四国の観音寺とおもっていました。10年位まえに芦浦観音寺だとわかってびっくり。昔は毎日中学生の頃かよってた所ですから。

芦浦観音寺の秋の一般公開
草津観光ボランテイアの玉すだれを演じられてました。

芦浦観音寺の秋の一般公開
裏側は完全に堀が形成されてます。

芦浦観音寺の秋の一般公開
お寺の前の石垣も古いです、この石垣は芦浦観音寺の西川さんのお宅です。

芦浦観音寺の秋の一般公開


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Posted by そば打ちおじさん at 22:22│Comments(4)歴史
この記事へのコメント
わざわざ文化会館から襖絵を里帰りさせたのに、一日だけと云うのはもったいないです。
来年から市の方でも保存、公開に力をいれるそうですが真偽のほどは知りません。
Posted by 吉祥 at 2017年12月17日 08:23
小学校4年生の時、滋賀県地図を手にしての社会の授業。
観音寺に住んでいる友達が「あー 草津に観音寺ってとこがある~~」と 叫んだのを覚えています。
以来、草津の観音寺の事はずっと頭にありましたが、まさか 芦浦観音の奉行所があった場所であったとは。 そして目の前にあった本社や車両基地がその跡地だったとは、今まで知りませんでした。
 地域学習として 観音寺のある小学校区=長等小学校で勉強をされるといいですね。
また もっと研究が進むといいと思います。
Posted by yume at 2017年12月17日 15:48
>吉祥さんへ
 本当に1日だけとはもったないですね。市が文化財を保存するんですか、でも今は旧草津川のお金はかりつかってますね、出来るのかな。
Posted by そば打ちおじさんそば打ちおじさん at 2017年12月19日 00:12
>yumeさんへ
 観音寺は湖岸を埋めて広くなっています、湖岸にあるかなと思っていたのですが、江若の後とは、本当にびっくりしました、おお昔は三井寺の別所でとなりは軍隊があって、戦争後はアメリカの軍隊が来たんですね、江若の駅から今の皇子山球場まで軍隊の土地、西の方は歴史博物かんから、皇子山体育館まで軍隊の土地だったんですね、江若鉄道は民家と軍隊の間をうまく利用さてたんですね。
でも学校ではもう道路になっているから、教えるのは無理だと思います。
Posted by そば打ちおじさんそば打ちおじさん at 2017年12月19日 00:22
 
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