› そば打ちおじさんのそば打ち日記 › 2016年12月16日

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2016年12月16日

歴史の里「菅浦」

今年の6月は南草津歴史会は湖北の菅浦にいってきました。
昔は西浅井町、いまは長浜市です。竹生島まですぐの所にあります。昭和46年に奥琵琶湖パークウエイが開通するまでは、道もなく湖上の交通だけでした。(大浦には小さな道はあったようです)



菅浦には、東と西の入口に、それぞれ茅葺きの棟門があります。
この門は4脚で、中世から明治維新まで集落の四方の入り口にあったことから四足門と呼ばれています。
集落の入り口にあることから、村の出入りの検札が行われていたと推測されます






ゆたかな緑に包まれた須賀神社は、この地に隠れ住んでおられたと伝えられる淳仁天皇を祀った物であり、明治42年(1909)に小林神社・赤崎神社を合祠し須賀神社と改称されました。
淳仁天皇は天皇の座を追われて、淡路に行ったといわれてますが、この淡海の菅浦にいたといわれています。
その神社が須賀神社です。
拝殿の裏には、淳仁天皇の舟型御陵が今でも残されております。







須賀神社は古来より神聖な場所とされ、本殿は土足禁止となっています。初詣でお参りするような神社の雰囲気とは全く違うので、菅浦の人のわが神との意識でしょうね。




本殿の手前には下足箱がありますので、神域となる本殿へ行くにはスリッパに履き替えるか、裸足で参拝しましょう。


本殿です。


菅浦の港です。




東の四足門です。ここもきれいに修理してました。





お昼を食べたつづらお荘を見ています。こんな所に国民宿舎があったんですね。
つづらお荘のホームページです、参考になります



遠藤周作、白州正子がこの隠れ里を愛したそうです。

竹生島が本当に近いです。



本当に隠れ里 不便でしたが、村の掟をまもって1000年以上も生きてきたんですね、町をあるいてそう思いました。
なかなか行けないところですが、行ってよかったです。  


Posted by そば打ちおじさん at 23:17Comments(6)南草津歴史街道