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2013年05月31日

瀬田橋と矢橋の渡し

 5月26日にあった歴史回廊の続きです。
 大津歴史博物館の杉江先生から頂いた「図説 大津の歴史」上巻からの資料に瀬田橋と矢橋の渡しがありました。杉江先生が書いたものです。

 大津から矢橋への船賃は江戸で決めていたようです。大津の札の辻にあったようです、1711年5月です。
 膳所の城下町から瀬田の橋を渡るより、石場から矢橋への船は五十町(5、5キロ)で草津に行けました。

 瀬田の橋も膳所藩が管理して、番所があったそうです、18回も架け替えられたそうです。
瀬田の橋は織田信長が殺されたとき、瀬田の城主山岡氏が瀬田の橋を焼いて通行どめにしたんですね。でも安土城が焼かれているのは、川をわたっていたんでしょうね。

 矢橋の渡しは平安時代からあったそうです。源頼朝も船を使ったんでしょうね。矢橋八幡宮が鞭崎八幡宮に変わったぐらいですから。そうそうお宮さんの灯篭に湖上安全と書かれた灯篭がありました。

 大津の城を築いた浅野長政氏が大津と矢橋を渡し船で行くようにしたんですね。家康が関が原の戦いで勝利して、矢橋の船を使ったそうです、それから、大名も行くようになったそうです。

急がば回れ と言われますが、これは 「武士(もののふ)の 矢橋の舟は速けれど 急がば回れ 瀬田の長橋」 と言われています。

昔の灯篭です、松が完全に枯れているんです。琵琶湖総合開発で船着場が2本出てきました。でもここから大津は見えません。下水処理場があるので。今は公園になっています。

瀬田橋と矢橋の渡し

イチョウの木です、これを目当てに矢橋の港に来たと言われています。

瀬田橋と矢橋の渡し
 

 今や車の時代です、代わりに近江大橋ができました。49年の完成です、途中で4車線にかわりました。浜大津にはうちの家から13分でつくんです。瀬田の唐橋回るより20分は早いですね。(混むから)。新浜と膳所の間です。
今は有料ですが、今年の12月25日から無料になります。 イオンモールがまた流行りますね。 日曜日に草津方面いく時夕方めっちゃ混むんですわ。イオンモール出来てからですね。
 私も大津の日赤行くのに楽になりますね。





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Posted by そば打ちおじさん at 22:18│Comments(2)歴史
この記事へのコメント
瀬田の唐橋と矢橋の帰帆の記事、懐かしく拝見しました。
矢橋帰帆の常夜灯は松の木が生き生きしていると素晴らしい光景になるのですが・・。それとイチョウの木、毎年ギンナンをつけるようですね。草津市の名木にもなっていると思いますが、矢橋帰帆の歴史を刻んでいるようで、貫録がありますね。
Posted by kobatoan at 2013年06月01日 07:40
>kobatoanさんへ

 常夜灯は個人の持ち物です。ですから松をカラした形跡がるようですわ。

 なんで町や市役所の持ち物にしなかったのか不思議ですわ。
松が生き返ったのにね。
Posted by そば打ちおじさんそば打ちおじさん at 2013年06月01日 22:29
 
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