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2013年10月18日

湖畔の郷 (矢橋の明治の大洪水の標識)

草津市矢橋の浜街道と矢橋街道の交差点です。

湖畔の郷 (矢橋の明治の大洪水の標識)

湖畔の郷 (矢橋の明治の大洪水の標識)
湖畔の郷 (矢橋の明治の大洪水の標識)

明治29年に起こった洪水です。真ん中の線があるところまで水が来たんです、水位が3.9mもありました。私の背丈より少し高いぐらいですね。その頃は田んぼが多くてみんなだめになったようです。家のものもみんなだめになって。

これで洗堰ができたんですね。琵琶湖を大阪のダム湖にしょうと国は色んな総合開発をしたんです。でも道路ができて、葦がなくなったりしました。
でも洗堰作るのは滋賀県の方がいろいろ苦労されたんだと思います。今台風でいろんなことが起こっています。住みよい暮らしで過ごすのはこれからも大変だと思います。

湖畔の郷 (矢橋の明治の大洪水の標識)
大昔は浜街道一本で大変な混みようでした、でもこれだけ車が増えたんで、湖周道路も必要です。浜街道も明治時代にできたんです。狭い芦浦街道しか、北や南にいくみちはなかったんで。

湖畔の郷 (矢橋の明治の大洪水の標識)



 この場所は前に家が立ってました。平成6年に浜街道を少し広げたんです。で空き地ができたんで、湖畔の郷 という名前で碑を立てました。
滋賀県が作っています。

 先日の台風18号でかなり水がついた矢橋も、この碑をみてくれたのかな、今の小学生。


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Posted by そば打ちおじさん at 18:48│Comments(4)歴史
この記事へのコメント
to.そば打ちおじさん

小学生たち、見てくれたかな。
すごい水位やったんですね。草津の水害の古写真を見たことがあります。

琵琶湖は近畿の水瓶と他府県から呼ばれていましたが、最近は聞かなくなったような気がします(気がするだけかなあ‥)
水瓶じゃなく、いきものを育む湖として、思ってくれるようになったのかなあ。
Posted by by.sho惑星 at 2013年10月18日 20:14
>sho惑星さんへ

 でも台風で淀川決壊しないのは、洗堰と天ヶ瀬ダムだとおもいます。台風があそくまで来るなんて、地球がおかしくなっているのかな。

 今の小学生はわかっているのかな。雨もすごいですね。
琵琶湖は少し切れいになったかと思ったけれど、今は藻で大変ですね。生き物と言ってもこのあたりはブルーギルだらけですわ。
Posted by そば打ちおじさんそば打ちおじさん at 2013年10月19日 00:08
明治29年の水害の碑というのは、結構あちこちにあるんですね。
載せておられる千丈川のずっとずっと上流の方にも碑があります。 どれだけ大変だったか思い知れます。
それも何日も続いたって言いますから、さぞかし大変だった事でしょう。
Posted by yume at 2013年10月22日 21:17
>yumeさんへ

 あちこちにありますね。滋賀県が要望して矢橋のは作ったんかもしれません。

 米が取れないときは昔のひとはどうしたのかな、百姓だけのはずだったのにね。
Posted by そば打ちおじさんそば打ちおじさん at 2013年10月22日 23:00
 
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