
2013年06月26日
歴史探訪ブロガーAコース に行きました。
滋賀県の教育委員会が近江の歴史探訪でブロガーで情報発信ができるようにしています。
そのコメントを4回に分けて書きました。 6月15日(土)に高島に行きました。
「英雄伝説・継体天皇と織田信長の足跡周辺を訪ねてー高島市ー」 でした。
私が書いたブログは
「英雄伝説・継体天皇と織田信長の足跡周辺を訪ねてー高島市ー」
「信長の隠れ岩」
「鴨稲荷山古墳」
「白髭神社と鵜川四十八石仏」
でした、ブログで本当にやくにたったか心配です。
そのコメントを4回に分けて書きました。 6月15日(土)に高島に行きました。
「英雄伝説・継体天皇と織田信長の足跡周辺を訪ねてー高島市ー」 でした。
私が書いたブログは
「英雄伝説・継体天皇と織田信長の足跡周辺を訪ねてー高島市ー」
「信長の隠れ岩」
「鴨稲荷山古墳」
「白髭神社と鵜川四十八石仏」
でした、ブログで本当にやくにたったか心配です。
2013年06月26日
白髭神社と鵜川四十八体石仏
今回のブロガーによる歴史探訪発信Aコースはこれで終わりです。
高島をめぐる旅、コースの最後は白髭神社と鵜川四十八体石仏群です。
白髭さんと言われています、琵琶湖の鳥居が有名です。ここは近江最古の社ですって。
白鳳3年(660)に社が建ったそうです、うちのお宮さん鞭咲八幡宮は白鳳4年に建ったんです。鞭咲八幡宮も古いんですね。

今のお社は慶長8年(1603)年に豊臣秀吉が命令して秀頼がたてたそうです。
白髭神社はよく行ってましたが、奥に摂社がありますね。やはり古いお宮さんですね。お山が神さんかも。
湖中の大鳥居は大阪道修町の小西さんが建てたそうです。今の接着剤のボンドの先駆者ですわ。
でも昔は湖岸がら誓くにありました。でも今は遠いところにあります。そうです、琵琶湖の総合開発で、遠くに持っていきました。
でも宮島の厳島神社の感じで丁度いいですね。



湖中の大鳥居は琵琶湖の名物です。でも湖西線に乗っていると、見えません。そうこの場所はトンネルです。
でも昭和43年までは湖岸を江若鉄道が走っていたんです。駅までありました、白髭駅です。
1969(昭和44年)に廃止でした。湖西線が開通のために。本当に今ではいい景色ですね。私も昭和44年に今津から浜大津まで乗りました。ゆっくりでいい旅でした。


鵜川四十八体石仏群は前を何回も通っているにいったことがありませんでした。誰が建てたとも知らずにです。
行ってみてびっくりしました。すごい石仏ですね。1553年に近江守護職の観音寺城主であった、佐々木六角義賢が亡き母の菩提を弔うためにつくったんです。
琵琶湖の東に住んでいた、六角さんがどうして西に作ったんかな。



現在は33体しかありません。一つは坂本の天海大僧正が13体持って行かれたそうです。あとは昭和62年に盗難にあったそうでうす。
北国街道の道筋に造ったんですね、後ろのお墓は鵜川と打下のお墓です。いいところにお墓が出来ていますね。昔は土葬だったんですね。

今回ブローガーによる歴史探訪に参加できて良かったです。どんだけ私のブログ見て頂いたかな。
このあとは
・7月20日【探訪】湖西明神崎をゆく-白鬚神社-
【詳細】県政eしんぶん平成25年6月7日号
http://www.pref.shiga.lg.jp/hodo/e-shinbun/ma07/20130607_1.html
・8月24日 【探訪・講座】長決死の脱出行~朽木・・・まだ詳細が出ていないので、宣伝できません。今後、お願いします。
また参加してくださいね。
高島をめぐる旅、コースの最後は白髭神社と鵜川四十八体石仏群です。
白髭さんと言われています、琵琶湖の鳥居が有名です。ここは近江最古の社ですって。
白鳳3年(660)に社が建ったそうです、うちのお宮さん鞭咲八幡宮は白鳳4年に建ったんです。鞭咲八幡宮も古いんですね。

今のお社は慶長8年(1603)年に豊臣秀吉が命令して秀頼がたてたそうです。
白髭神社はよく行ってましたが、奥に摂社がありますね。やはり古いお宮さんですね。お山が神さんかも。
湖中の大鳥居は大阪道修町の小西さんが建てたそうです。今の接着剤のボンドの先駆者ですわ。
でも昔は湖岸がら誓くにありました。でも今は遠いところにあります。そうです、琵琶湖の総合開発で、遠くに持っていきました。
でも宮島の厳島神社の感じで丁度いいですね。



湖中の大鳥居は琵琶湖の名物です。でも湖西線に乗っていると、見えません。そうこの場所はトンネルです。
でも昭和43年までは湖岸を江若鉄道が走っていたんです。駅までありました、白髭駅です。
1969(昭和44年)に廃止でした。湖西線が開通のために。本当に今ではいい景色ですね。私も昭和44年に今津から浜大津まで乗りました。ゆっくりでいい旅でした。


鵜川四十八体石仏群は前を何回も通っているにいったことがありませんでした。誰が建てたとも知らずにです。
行ってみてびっくりしました。すごい石仏ですね。1553年に近江守護職の観音寺城主であった、佐々木六角義賢が亡き母の菩提を弔うためにつくったんです。
琵琶湖の東に住んでいた、六角さんがどうして西に作ったんかな。



現在は33体しかありません。一つは坂本の天海大僧正が13体持って行かれたそうです。あとは昭和62年に盗難にあったそうでうす。
北国街道の道筋に造ったんですね、後ろのお墓は鵜川と打下のお墓です。いいところにお墓が出来ていますね。昔は土葬だったんですね。

今回ブローガーによる歴史探訪に参加できて良かったです。どんだけ私のブログ見て頂いたかな。
このあとは
・7月20日【探訪】湖西明神崎をゆく-白鬚神社-
【詳細】県政eしんぶん平成25年6月7日号
http://www.pref.shiga.lg.jp/hodo/e-shinbun/ma07/20130607_1.html
・8月24日 【探訪・講座】長決死の脱出行~朽木・・・まだ詳細が出ていないので、宣伝できません。今後、お願いします。
また参加してくださいね。