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2010年11月01日

ちょいとあるこう東海道へ part2

 きのう東海道を草津から大津まで歩いたとかきました。実はこれで終わろうかと思いましたが、詳しく書きます。
本当は草津在住のひろちゃんがいいレポート出しているのです。ぜったいに勝てるわけはありませんが、私の感じたこと書きます、

前回は南笠まであるいたので南笠から大津まで11.5kmのはずです。南笠まで行くのに狼川の近くで東海道をこえるとこんなトンネルがありました。明治の初めにつくったトンネルです。川の下をもぐっています。

ちょいとあるこう東海道へ part2


この看板は草津の狼川自治会がつくった看板なんです、瀬田まで何キロあるか親切です。なかなかあと何キロとは草津は書いていませんね。


ちょいとあるこう東海道へ part2

ここは池たったみたいで並木があります。いい風景ですね。この先は朝一方通行なので、通る方はすくないかも。

ちょいとあるこう東海道へ part2


ここから大津です。 草津は何キロあったのかなといつもかんんがえます。


ちょいとあるこう東海道へ part2


ここは月輪です、向かしため池がおおかったので、月の輪とよんだのでは。


ちょいとあるこう東海道へ part2

ここは新田地域だったのですね。東海道から下は全部田んぼだたはず。今の名神の近くまで新田が開発されたのでしょう。

ちょいとあるこう東海道へ part2


月輪の立場あとです。 こんなんは全然しりませんでした。

ちょいとあるこう東海道へ part2


ここから上りがあって 一里塚です。 ここは一里山と呼んでいるのは新しい町だったのでしょうね。この前の道40年まえにはまだ出来てなかった感じです、医科大へいく路です。
昔は瀬田町から大津に合併して急にぬびたんですね、駅もできたし。でも同じ栗太郡なので、本当は草津と合併したっほうがよかったかもしれませんね、あの時草津は反対だったのでしょうね。昔の家の風景は草津と瀬田はそっくりです。


ちょいとあるこう東海道へ part2

瀬田の小学校からは路がややこしいです。曲がりばっかりです。

3回目の曲がりで進行方向がちゃんとできていません。 唐橋から来る人はまちがって旧国道をいってしまいますね。

ちょいとあるこう東海道へ part2



ここは建部大社です、近江一の神です、 ここで活躍されたのが、わがやばせの鞭崎神社の神主です。ずーと建部におられたようです。

この近くにたにし飴があります

ちょいとあるこう東海道へ part2






このあと瀬田の唐橋はとっていません、いろいろ瀬田に縁が深く忘れてしまいました、次回は粟津にします。



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Posted by そば打ちおじさん at 23:56│Comments(2)中山道
この記事へのコメント
月の輪の立場跡の石碑は、前からあったのかも知れませんが、どうやら数年前「国道1号線」を横切る道が出来た時に、この場所に設置したみたいです。
4年前、私が歩いた時に今の状態になっていました。

でも、写真の「大津宿本陣跡」の説明看板はまだ無かったです。
「野路一里塚跡」にも道路からよく見える大きな看板で、「一里塚跡」と書いてあるみたいですが、時間が経つと少しずつ変わっていってる様ですね。
Posted by のんびりhiro at 2010年11月03日 23:53
やっぱりかわりますか、

中山道 あめのなかお江戸に行ってこられたのですか。
Posted by そば打ちおじさん at 2010年11月03日 23:57
 
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