› そば打ちおじさんのそば打ち日記 › 2013年09月21日

この広告は365日以上更新がないブログに表示されます。  

Posted by 滋賀咲くブログ at

2013年09月21日

ブロガー発信(Dコース)沖島周辺を訪ねてNO2

 前回の沖島小の生徒は8人と言いましたが、11人の生徒でした。でも中学は船に乗っていかんとあきませんね。船代往復1000円もとるのかな。

沖島での見所はおきしま資料館、奥津嶋神社と西福寺でした。

 おきしま資料館
 
  琵琶湖は大昔から移動しています。40万年まえに今の琵琶湖ができて、沖島6万年前にできたそうです。大昔から人は住んでいたようです。対岸から泳いでいったんかもしれませんね。713年に「西福寺」が奥津嶋神社を建てたそうでうす。
 今の祖先は 保元、平治の乱で敗れた源氏の人が7名住み着きました。小川、北、茶谷、中村、西居、久田、南 の名前が沖島ではほとんどです。
同じ名前だから、みんな屋号で呼ぶのでしょうね。

 足利義政から琵琶湖の見張り役をもらって、あとは信長や秀次から特別にされたようです。
明治8年になってから信長からの権利で琵琶湖で魚を取れるようになったんです。



奥津嶋神社

 古いお宮さんです。
ここは左義長まで行わえるみたいです。 でも島だから大きな社ではありません。







西福寺

 7人の武者の茶谷重右衛門の末裔が蓮如にいわれて庵を建てたんです。
寺宝は蓮如上人の物があります。









15日に浜大津の朝市にいつも沖島がらこられます。 私が行ってきましたとういたら、何もないところですわと言われました。魚釣も網で取る方法ですしね。 初めて行かしてもっらって、こんな街でしたというだけでしたね。

郵便局があるんですね。びっくりしました。


町の狭い通路です。




2時間しか沖島にいてませんでした。学校を見たかったですわ。
  


Posted by そば打ちおじさん at 23:58Comments(4)ブロガーによる歴史探訪情報発信