
2013年09月03日
ブロガー発信 余呉湖を訪ねて
今回も滋賀県の宝くじ提供のバスで案内です。 でも西側は道が悪いんで徒歩でした。


最初に行ったのは天女衣掛の柳です。ここは柳です、三保の松原の天女は松ですね。いろんなところに天女の言い伝えがあるんですが、ほとんどは松です。723年「帝王編年記」に書かれています、伊賀刀美と天女をめぐる白鳥伝説があたんですね。もう一つのお話が、余呉の川並に桐畑太夫という人が居りました、天女にあって結婚しました。子供が2人も出来ました。男の子は管山寺で所業をして、菅原道真になったと言われてます。
昔ばなしですよね。
柳の木があるので、江戸時代に出来たお話だと思います。 でも伊香具新社は古いので、720年頃には出来ていたかも。
いい話しがうまく作られています。 菅原道真は奈良か京都の生まれです。ここの桐畑一族が作ったお話ですよね。
でもいい柳です。昔はキワまで余呉湖がきていたんですね。そうでなけれは衣がかけられません。
余呉湖は釣りのメッカです。いつもは鮒とか、鯉が取れます、冬はワカサキです、ここのワカサギはかなりよく取れるらしいです。昔は浮き桟橋てなかったのに、今はお金払って入る桟橋がいっぱいあります。ビジターセンターでの申し込みです。
でもワカサギとりにくる人がよく泊まった余呉湖荘が9/30でおしまいになります。出来て40年建っています、最初は余呉町が国民宿舎をつくたんです。私も大昔に泊まりに行きました。裏の山は賎が岳です、でも残念ですね。

余呉湖はダムになりました。
そうなんです、琵琶湖の余呉川と高時川の水量をふやすために、ダム湖のなったんです。昔は湧水だけの湖が琵琶湖の水質と同じに。琵琶湖も北部だと綺麗なんですが、でもかなり濁ったんですね。 そこで滋賀県は汚れを取る装置を完成させています。
余呉湖が水を取り入れて、水をだすとは聞いていましたが、かなりの事業費が行ったんでしょうね。昭和31年から始まったようです。昭和44年飯の浦から琵琶湖の水を引いたんです。湖北の人は喜んだと思います。
うちの老上学区でも、江戸時代に出来た溜池がたくさんありました。草津用水ができて琵琶湖から水をとりました。ですから池は必要なくなり、住宅地になったり、グランドになったり、南草津の駅もほとんど池のあとです。農家にとって水争いは大変なことでした、
滋賀県の余呉湖のhpです。
国営余呉湖水利事業のHPです、色々と勉強になります。(水の政策で)
余呉川への取り出し口です。

飯の浦からの入口です。

間欠式空気揚水筒です。

沖の浄化するところです。

この川は江戸時代に作られた川です。おお昔はでる川が一本のなかったんです。
大きな工事だったでしょうね。

私は余呉湖の観光より ダムの関心が高かったです。農業も減反ばかりで、年寄りがしている時代です、昔はすごく農業に深く関わっていたとおもています。TTPはどうなるかですが、滋賀の米で自分たちの食べる分は作って行きたいです。(私もちいさな農家です)


最初に行ったのは天女衣掛の柳です。ここは柳です、三保の松原の天女は松ですね。いろんなところに天女の言い伝えがあるんですが、ほとんどは松です。723年「帝王編年記」に書かれています、伊賀刀美と天女をめぐる白鳥伝説があたんですね。もう一つのお話が、余呉の川並に桐畑太夫という人が居りました、天女にあって結婚しました。子供が2人も出来ました。男の子は管山寺で所業をして、菅原道真になったと言われてます。
昔ばなしですよね。
柳の木があるので、江戸時代に出来たお話だと思います。 でも伊香具新社は古いので、720年頃には出来ていたかも。
いい話しがうまく作られています。 菅原道真は奈良か京都の生まれです。ここの桐畑一族が作ったお話ですよね。
でもいい柳です。昔はキワまで余呉湖がきていたんですね。そうでなけれは衣がかけられません。
余呉湖は釣りのメッカです。いつもは鮒とか、鯉が取れます、冬はワカサキです、ここのワカサギはかなりよく取れるらしいです。昔は浮き桟橋てなかったのに、今はお金払って入る桟橋がいっぱいあります。ビジターセンターでの申し込みです。
でもワカサギとりにくる人がよく泊まった余呉湖荘が9/30でおしまいになります。出来て40年建っています、最初は余呉町が国民宿舎をつくたんです。私も大昔に泊まりに行きました。裏の山は賎が岳です、でも残念ですね。

余呉湖はダムになりました。
そうなんです、琵琶湖の余呉川と高時川の水量をふやすために、ダム湖のなったんです。昔は湧水だけの湖が琵琶湖の水質と同じに。琵琶湖も北部だと綺麗なんですが、でもかなり濁ったんですね。 そこで滋賀県は汚れを取る装置を完成させています。
余呉湖が水を取り入れて、水をだすとは聞いていましたが、かなりの事業費が行ったんでしょうね。昭和31年から始まったようです。昭和44年飯の浦から琵琶湖の水を引いたんです。湖北の人は喜んだと思います。
うちの老上学区でも、江戸時代に出来た溜池がたくさんありました。草津用水ができて琵琶湖から水をとりました。ですから池は必要なくなり、住宅地になったり、グランドになったり、南草津の駅もほとんど池のあとです。農家にとって水争いは大変なことでした、
滋賀県の余呉湖のhpです。
国営余呉湖水利事業のHPです、色々と勉強になります。(水の政策で)
余呉川への取り出し口です。

飯の浦からの入口です。

間欠式空気揚水筒です。

沖の浄化するところです。

この川は江戸時代に作られた川です。おお昔はでる川が一本のなかったんです。
大きな工事だったでしょうね。

私は余呉湖の観光より ダムの関心が高かったです。農業も減反ばかりで、年寄りがしている時代です、昔はすごく農業に深く関わっていたとおもています。TTPはどうなるかですが、滋賀の米で自分たちの食べる分は作って行きたいです。(私もちいさな農家です)