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Posted by 滋賀咲くブログ at

2013年06月10日

三井寺の書院散策

 近江歴史回廊大学でいま東海道をめぐっています。
6月9日は大津の三井寺の散策でした。講義は「大津と大津絵」園城寺の福家俊彦さんでした。講義も面白かったんですが、今日は福家先生の三井寺巡りのお話です。

 私は三井寺の近くでうまれて、長等小、皇子山中 でした。講義の帰りにエレベーターであってそう言いました。
大昔は山にしば取りにいったことがあります。戦争中は三井寺の中に防空壕があったそうです。大昔は映画のロケも来ていました。
今も変わらない駐車場には、大原女の女性がモノを売っていました。

 いい建物の公会堂があって、その建物は堤康次郎さんがかった(ほんまがうそかわかりません)ということで、長等小が経ちました。
小6の時はいろいろ思い出があるんです、子供が多すぎて講堂(体育館ではありません)に入れないといことで、米軍がのこした体育館でありました。

 三井寺と関係ないわとおっしゃいますすが、明治になってから三井寺の北院(いまの歴史民俗館や、市役所、皇子山の陸上競技場は全部)は練兵場にかわってしまい、そのあと米軍がきました。いまは法明院と新羅是神堂しかの残っていません。

 三井寺も比叡山との宗教争いで焼けたし、信長の時もやけたんかな。秀吉は三井寺をつぶしにかかりました。でも北政所が秀吉にうまくいったかどうか、秀吉が死ぬ1日まえに、三井寺復興になったわけです。

仁王門は石部の常楽寺から移築です。三重塔も一切経蔵もよそから持ってきています。やはり徳川家や毛利家はお金もあったし、すごいことをしたんですね。



 







金堂は北政所が作らしたもので、京都や奈良の大仏を作った人の子孫滋賀の人間が作ったそうです、1599年です。








1600年は関が原の戦いです。そのときに、仏さんとは関係のない書院が2つ作られました。



明日は書院も紹介をします。滅多に入れないところです、福家先生にありがとうといいたいです。  


Posted by そば打ちおじさん at 23:58Comments(4)歴史

2013年06月08日

梅酒を作りました

 毎年梅酒を作っています、もう7年目かな。
今年は二年持たすために2つ作ろうかと思いましたが、やっぱりひとつだけです。

梅酒用のお酒はいつもタカラの果実用の焼酎でしたが、今年はイオンの果実酒用をかいました。
こっちのほうが安かったから、味はどうなるかな。でもイオンの中身は名古屋にある有名なメーカーでしたわ。





 大津南部でまた3時過ぎに震度2の地震 うちも震度1でしたわ。そのあと 和歌山で震度4を含めた地震が4回ほどありました。
ほんと南海沖地震が心配になってきましたわ。
  


Posted by そば打ちおじさん at 21:56Comments(4)梅酒

2013年06月06日

大きい玉ねぎができました

 今日とったのは保存の効く玉ねぎです。陰干しで竿に干しておいたら今年中は持つかもしれません。

 早い玉ねぎは美味しかったけど、この玉ねぎは美味しいかな。まだ食べていないんです。早い玉ねぎは200個作てあっという間に、もう少なくなっています。

 今年の玉ねぎは近所の方に聞いても大きくなったと言われています。大きのはまずいんかな。




電球と比べてみました。真ん中は小さいです、端は大きくなっています。これで得意のカレーを作らんとあきませんね。


  


Posted by そば打ちおじさん at 22:48Comments(10)農業

2013年06月05日

沙沙貴神社に行きました。

 昨年安土の見学会で最後が沙沙貴神社でしたが、時間なく行けませんでした。ほんとうに残念でしたが、旧伊庭家住宅と同じところ聞いて行きました。
 沙沙貴神社は佐々木家の発祥の土地なんですね。宇多源氏から始まって、宇多天皇から続いているそうです。婆沙羅大名の佐々木道誉や京極高明や乃木大将が大きくしたそうです。
 京極氏の時代に楼門や本社などすべて江戸時代です。ですから県の文化財です。

でも楼門は立派ですね。





なんじゃもんじゃの木です。花は1週間らしいです。もう終わってましたわ。



本当に綺麗な神社です、この安土の常楽寺や小中他のところでお守りしているのですね。



帰りに常が浜の公園に行きました。昔は西の湖とつながっていて、観音寺城とつながりがあったそうですよ。
いい景色を見つけました。福山さんがかいたらうまく書けるでしょうね。


  


Posted by そば打ちおじさん at 23:01Comments(6)歴史

2013年06月03日

安土の旧伊庭家住宅に行きました。

 ヴォーリズ邸の初期の建物が安土の旧伊庭家住宅があります。
福山さんのコメントに書いておられたのと、なんじゃもんじゃの木をブログに載せて頂いた、プーさんのコメントをみて行くことにしました。
6月2日が最終日です、日曜日しかやってないのです。きっと管理人も居てないので、むつかしいんでしょうね。
最終日だったんでいっぱいでした。

 住友活気園のお住まいだった伊庭貞剛さんが立てたお家です。4男の子供に大正二年に建たんです。
でも当時の人はびっくりされたんでしょうね。伊庭慎吉さんが神主を努めた沙沙貴神社の神主だなんて。後で安土の町長さんもされました。

見ればすごいですわ、「ハーフティンバーと呼ばれる化粧梁で細分化された意匠の外観に、傾斜の強い天然石スレート葺きの切妻屋根を乗せて煙突を備えた」 と書いてあります。





 一階は和風でした。座敷もあって、これで洋風かなと思うほどです。でも応接室は暖炉もあってすごかったです。

近くの方がこんな洋風の家にこんな応接室と座敷があるってすごいですねとおしゃっていました。
学生風の方もおられて、かなりヴォーリズのお屋敷を研究されていたようです。








2階は洋風でした。3階は立ち居入り禁止でしたが、そこからベランダに出らたようです。

でもとなりが一部保育園に売られたんで、この建物も壊す予定だったそうです。でも文化財の建物だからと残したん出すって。
出来て丁度100年だらしいんです。残しといて本当に良かったですね。



明日は沙沙貴神社を書きます。  


Posted by そば打ちおじさん at 23:57Comments(6)