
2013年03月11日
大津百町 大博覧会
大津に本当に百町があるのかなと思ってました、本当にあるのでした。

昨日は近江歴史回廊の講座が大津歴史博物館でありました。講師は大津歴史博物館の館長 樋爪さんです。
講演は「大津百町ーマチから始まるモノがたり」でした、後で 大津百町 大博覧会を見ました。
大津の百町はは大津の城から始まっています。絵を見てみると、本丸は浜大津駅のあたりです。外掘りは今の京都信用金庫のところから、小唐崎町(大津事件のあったところ)の端まであって東海道まであったそうです。西側は川口公園です。水の城だったんですね。
大津の城が壊されて港町になって大津百町ができたそうでうす。明治7年の地図があります。この頃と今の自治会の町内は同じです。
本当にびっくりしました。私のいた町内が明治7年からあるって。
本当に百町ぴったりの町だそうです。 山科へ抜ける東海道の町を含めてだそうでうす。
札の辻は京都からきた道が右へ左へ曲がるところだたんです。ここは東海道と北国街道の分かれ道です。大津の道路基準点があります。
京阪京津線が100年です、でも大津の停車場は札の辻だったんですね。 浜大津へ抜ける道は通り抜けだったそうです。大津の港までつなごうと、道路工事までして、電車をとうしたんですね。
札の辻に面しているところは上京町です。ここに昔の地図が保存されていて、土地の所有者が変われば上に紙を貼って言ったそうです。昔からの履歴書ですね。
樋爪さんがおっしゃっていました、町の履歴書を作ったら、あとの世代にも残ると。大津は街づくりでやろうと考えているそうです。でも歴史博物館の大津百町はいい企画ですわ、三井寺から疎水をみた絵が3枚もあるんです。石場と矢橋の絵もあるし、ほんと皆さん行ってください。800円の値打ちが十分にありますわ。
私の住んでいる老上学区 駅前もびっくりするようになり、イオンモールのできました。矢橋も草津総合病院が経ちました。全部田んぼから変わっています。本当に履歴書がいる感じですね

昨日は近江歴史回廊の講座が大津歴史博物館でありました。講師は大津歴史博物館の館長 樋爪さんです。
講演は「大津百町ーマチから始まるモノがたり」でした、後で 大津百町 大博覧会を見ました。
大津の百町はは大津の城から始まっています。絵を見てみると、本丸は浜大津駅のあたりです。外掘りは今の京都信用金庫のところから、小唐崎町(大津事件のあったところ)の端まであって東海道まであったそうです。西側は川口公園です。水の城だったんですね。
大津の城が壊されて港町になって大津百町ができたそうでうす。明治7年の地図があります。この頃と今の自治会の町内は同じです。
本当にびっくりしました。私のいた町内が明治7年からあるって。
本当に百町ぴったりの町だそうです。 山科へ抜ける東海道の町を含めてだそうでうす。
札の辻は京都からきた道が右へ左へ曲がるところだたんです。ここは東海道と北国街道の分かれ道です。大津の道路基準点があります。
京阪京津線が100年です、でも大津の停車場は札の辻だったんですね。 浜大津へ抜ける道は通り抜けだったそうです。大津の港までつなごうと、道路工事までして、電車をとうしたんですね。
札の辻に面しているところは上京町です。ここに昔の地図が保存されていて、土地の所有者が変われば上に紙を貼って言ったそうです。昔からの履歴書ですね。
樋爪さんがおっしゃっていました、町の履歴書を作ったら、あとの世代にも残ると。大津は街づくりでやろうと考えているそうです。でも歴史博物館の大津百町はいい企画ですわ、三井寺から疎水をみた絵が3枚もあるんです。石場と矢橋の絵もあるし、ほんと皆さん行ってください。800円の値打ちが十分にありますわ。
私の住んでいる老上学区 駅前もびっくりするようになり、イオンモールのできました。矢橋も草津総合病院が経ちました。全部田んぼから変わっています。本当に履歴書がいる感じですね
Posted by そば打ちおじさん at
22:53
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